This Archive : 20060913
ロンドン・クラリッジスホテル212号室
いきなり変なタイトルです。別に何か出るとか、欧州旅行中の×××な話とかじゃぁありません。期待して読んだ人、ゴメンなさい。
このホテルのスィートルーム212号室。実は歴史的にも地理学的にも、他に類を見ない場所。
ロンドンの真ん中にありながら、この部屋が1日だけユーゴスラビア(当時)に割譲されたことがあるのです。
と言っても大使館などではありません。在外公館は治外法権が認められた場所ですが、外国の領土という訳ではないのです。
この場所は、列記とした外国領。
時は第二次大戦中。ユーゴは1941年枢軸国側につき参戦。と直ぐにクーデタが発生し、時のパヴレ国王は亡命し、ペダル2世が即位。連合国側に立つことになりました。そしてドイツ軍が侵攻し、ペダル2世は亡命を余儀なくされ、ロンドンに亡命政府をつくり徹底抗戦となった訳です。
その後、ペダル2世はギリシャ王室のアレキサンドリア姫と結婚し、1945年7月17日に亡命先のロンドンで、アレクサンドラ皇太子が誕生しました。
さて、ここで問題が生じます。当時のユーゴスラビア王国では、王位継承権は国内で生まれた者にしか認められず、このままでは皇太子に王位継承権が与えられないことになってしまうのです。
そこで苦肉の策として、皇太子が生まれる場所をユーゴスラビア領にしてしまうというウルトラCになった訳です。
この辺が英国政府の老獪なところ。時のチャーチル首相は7月17日朝「クラリッジスホテル212号室をユーゴスラビアへ割譲する」と宣言したのです。
ただし、生まれてさえしまえばこっちのもの。翌日には直ぐに返還となったようです。
折角の策でしたが、ユーゴはその後政権についたチトーが王政を廃止し、王室は亡命生活を続けることとなりました。
皇太子がユーゴの本当の土地を踏んだのは1991年のこと。ユーゴスラビアが解体した後のことです。
歴史の巡り合わせとでも言うのでしょうか、時にこんな妙な話があるから、歴史や地理って面白いですよね。
それにしても、ホテルの1室だけ割譲しちまえという寝技、流石チャーチル、やることが違います。
このホテルのスィートルーム212号室。実は歴史的にも地理学的にも、他に類を見ない場所。
ロンドンの真ん中にありながら、この部屋が1日だけユーゴスラビア(当時)に割譲されたことがあるのです。
と言っても大使館などではありません。在外公館は治外法権が認められた場所ですが、外国の領土という訳ではないのです。
この場所は、列記とした外国領。
時は第二次大戦中。ユーゴは1941年枢軸国側につき参戦。と直ぐにクーデタが発生し、時のパヴレ国王は亡命し、ペダル2世が即位。連合国側に立つことになりました。そしてドイツ軍が侵攻し、ペダル2世は亡命を余儀なくされ、ロンドンに亡命政府をつくり徹底抗戦となった訳です。
その後、ペダル2世はギリシャ王室のアレキサンドリア姫と結婚し、1945年7月17日に亡命先のロンドンで、アレクサンドラ皇太子が誕生しました。
さて、ここで問題が生じます。当時のユーゴスラビア王国では、王位継承権は国内で生まれた者にしか認められず、このままでは皇太子に王位継承権が与えられないことになってしまうのです。
そこで苦肉の策として、皇太子が生まれる場所をユーゴスラビア領にしてしまうというウルトラCになった訳です。
この辺が英国政府の老獪なところ。時のチャーチル首相は7月17日朝「クラリッジスホテル212号室をユーゴスラビアへ割譲する」と宣言したのです。
ただし、生まれてさえしまえばこっちのもの。翌日には直ぐに返還となったようです。
折角の策でしたが、ユーゴはその後政権についたチトーが王政を廃止し、王室は亡命生活を続けることとなりました。
皇太子がユーゴの本当の土地を踏んだのは1991年のこと。ユーゴスラビアが解体した後のことです。
歴史の巡り合わせとでも言うのでしょうか、時にこんな妙な話があるから、歴史や地理って面白いですよね。
それにしても、ホテルの1室だけ割譲しちまえという寝技、流石チャーチル、やることが違います。
Category : Geographie
| △
| HOME |
